ひまわりコーポレーションの歴史
お客様は、良いクルマを適正な価格で買いたいと考えています。「自分だけ高く売りつけられるのではないか」「騙されているのではないか」という疑問を常に抱いています。そのことが、自動車販売店における値引き合戦となり、「1円でも安く値切らなくては」という、営業マンとお客様の不毛な争いに繋がっているのだと考えています。 私たちは、創業当初から「すべてのお客様に適正価格でご購入頂くこと」を考え、一切値引きをしないかわりに、最初から適正な価格で販売しています。それこそが、全てのお客様に対する最高のサービスだと考えているからです。
自動車業界の悪習慣を変えるべく創業した「ひまわりコーポレーション」も、創業から50年近く経過いたしました。ここで創業からの想いを記し、私も、部下も、これから入社してくるスタッフ達に創業からの行動指針を記すため、ここに私の想いを書き残したいと思います。
これは、ひまわりコーポレーションを育ててきた私からの少し長い手紙です。もしよろしければ、最後まで読んで頂けると幸いです。
創業者 豊田昭博
私、ひまわりコーポレーション創業者「豊田昭博」は、自動車販売業を創業して以来「値引きをしないこと」を信条に、お客様に自動車を提供してきました。お客さまに誠実な価格で商品を販売していれば、売る方にも買う方にも、安易な値引きは必要ない。と考えていたのです。
ところが、当時の自動車業界は「値引きして売るのが当然」という風潮が蔓延していました。最初は高い価格を設定しておき、値引きを要求するお客がきたら値引きをして販売する。ということがサービスであると思いこんでいるのが業界の風潮でした。
私がディーラー時代に値引きをせずに車を売ると、上司には怒鳴られ、お客様には謝罪を強要され、挙句の果てには、商談を終えた車をあとから値引きする・・という始末です。私は、お客様に真摯に向き合い、その姿勢にご納得いただいた上で、値引き無しで販売したのです。それを「業界の慣習だから」と怒られ、後から値引きをすることになったのです。悔しくてたまりませんでした。
「よし!自分で商売をはじめたら絶対に値引きをしない店をつくり、業界のスタンダードを変革してやろう!」と誓ったのです。その後私は、創業してから今まで、ただの一度も値引きをしておりません。それができるのは最初からお客様に最も喜んでいただける価格で商品を提供しているからです。
私の商売の原点は、小学四年生の頃に始めた「レンコンのたたき売り」が始まりです。値引きをしない方が、モノが売れることに気付かせてくれたのは、レンコンを買いにきたお客様でした。私が小学校時代に始めたレンコンの販売は、農家が作ったような立派なレンコンではありませんでした。山奥の沼みたいな貯め池に自生している細長いレンコンを、ひとりで採っていたのです。それを自作のリヤカーに載せ、子供だてらに町まで押していくのです。細くて歯ごたえのないレンコンの販売価格は市場価格の一割ほどでした。元手がかからないからこそ、そこまでの安値にすることができましたが、それでも値引きを求めてくる人がいるのです。
当初は、その値引きに応じていたのですが、そのうち誰にどのくらい値引きをしたか憶えきれず、全員に値引きをしていると、利益がどこまでも下がるのです。そこで、思い切って値引きをやめてみたのです。
レンコンの収穫時期は十月頃です。ため池の水は寒く、一回池に潜っただけで口唇が紫色になります。当時の水着にあたる「越中ふんどし」を私は買うことができず、仕方なく十月の寒い中、全裸で池に潜り、レンコンを取るのです。蓮の花の位置を潜る前に憶えておいて、根っこの位置を確かめるために一回潜ります。そして根っこを千切るためにもう一回潜り、引き抜くためにまた潜るのです。三回潜ってレンコンを採り、池の端まで持って行って、また採りに潜る。それを何度も何度も繰り返して、リヤカーがいっぱいになってから売りに行っていました。
正価で、すべて売り切る
値引きをしない方が売れる理由は、スピードです。私の採ってくるレンコンは細くて柔らかい、商品価値の低いレンコンです。しかしそれでも欲しがる方はいらっしゃるのです。それなのに、値引き交渉をしていると、一人のお客様に時間がかかってしまうのです。
レンコン売りをしてしばらくすると、相場感覚をつかんでいましたので、値引き交渉には応じず、分かってくださる方に、安値で販売していました。スピードとは「時間」です。私のレンコンは、多くの人に見てもらえれば、確実に売り切れる商品でした。値引きに時間を割いて売れ残りを出すよりも、正価ですべて売り切る方が、その日の利益が高いのは自明の理です。値引きをしないことで、想定した利益が確保できて、結果的にお客様へサービスで還元できるので、良い循環がつくられるのです。
余談ではありますが、私は小学四年生にして父親の月給を上回る売り上げをたたき出していました。売り上げは母親に献上。家族は口をそろえて私を「天才」と褒めそやしました。私はさらなる顧客を開拓するため、父が働く下駄工場にも売りに行きました。工場の人が群がって繁盛する私のリヤカーを、少し遠くから、父が微妙な表情で見つめていたことを今でも憶えています。
もう一つ、レンコンの販売で学んだことがあります。それは「商品のデメリットもお客様に正直に説明する方が、お客様は満足して買って下さる。」ということです。商品の欠点を隠したりごまかしたりせず「私のレンコンは細くて柔らかく山奥に自生しているものです」とだけ言っていると「そのかわり安いじゃないか」「お年寄りには食べやすくていいよ」と言ってお客様が買ってくださるのです。お客様は、基本的に商品が欲しくて見に来られます。そこで、こちらから商品の良いところを売り込もうとすると、それに対して反論をされます。ところが、デメリットも正直にお話していると、お客様がしびれを切らして商品の良いところを見つけようとしてくれます。
実際、三菱自動車勤務時代には、このデメリットを正直に説明するという営業手法で販売成績全国日本一になったのです。安易な値引きをせずに、自分たちの商品を自信を持って売ることは、後ろめたさがあってはできません。当社には様々なお客様がご来店されますが、みなさん「良いものを、安く買いたい」という思いは共通しておられます。
当社の車を良いものに感じてもらう。安い!と感じてもらうためには、どのような会社であるかが重要です。「何を買ったか」ではなく「誰から買ったか」こそが、モノの価値なのです。 そこで私たちは、商品説明の前に、自分たちの会社の説明を行います。商品を語らず、会社の哲学を語っていると、従業員自身がそれを自分の言葉として語れるようになり、誇りを持てる。誇りを語る情熱がお客様の信頼を生み出すのです。
私たちは仕事への誇りを「20年50万キロ精神」として掲げました。車を何度も買い換えてもらって売り上げを伸ばしたり、1台の車の利益を高くして稼ぐのではなく、長くお付き合いできるお客様に、長く乗れる車を提供し、お客様と車をずっとサポートしつづけること。ただ車だけを提供するのではなく、快適なカーライフをご提案するお店であること。いちばん大切なことを、いちばん大切にしつづけること。それが私たちの精神なのです。
仕事に対する報酬は「仕事」です。お客様からの最大の報酬はお金ではなく「次の仕事である」整備の依頼や次の車の相談などを任されるという信頼関係に他なりません。昭和五十年に全財産の百十五万円を投げうってオープンした私の自動車販売店「スタンダードモータース」は、たった3坪のプレハブに応接セットとスチール机があるのみでした。看板もなく、電気も水道も通っていませんでした。しかも、手元にあった車は、中古車がたったの3台だけだったのです。
自動車販売業をつらいと感じたことはただの一度もありませんが、お客様が来てくださらない日が続いたのは、こたえました。十歳でレンコンのたたき売りを始め「スタンダードモータース」を創業する前のサラリーマン時代には、全国一位の営業成績を収めていた私が、起業してから2週間もの間、クルマが1台も売れないどころか、1人のお客様にもご来店頂くことができなかったのです。
値引きを要求するお客だけに値引きするのが当たり前、という風潮が蔓延していた自動車販売業界を変えるため、正しい価格で正直に商売をすることを業界のスタンダードにするため名付けた「スタンダードモータース」をオープンしたはずの私の店にお客様が来ない・・。厳しい現実でした。
創業した最初の月末。クルマは1台も売れません。値引きをしてでも車を売らなければ、商売が立ち行かない状況まで追い込まれていました。そこに、初めてのお客様が来店されたのです。私は3台ある在庫車両の中でも一番自信があった「ホンダライフ」を夢中になって説明しました。そのお客様も、私の対応を信じて頂き、買ってくださる雰囲気にはなったものの「もっと安くならないの?」という値引き交渉になり、なかなか契約に至りません。
私の頭の中では「値引きは絶対にしない」という信念と、「今日売らないと支払いができない」「店をやっていけない」という現実が激しく葛藤していました。そんな私の気持ちなど知らないお客様は、値引きができるはずだと粘るのです。そして、日は傾きはじめ、当時電気も引いていないプレハブの店舗では、薄暗くなってお客様の顔が見えなくなってきました。
そしていよいよ「もうダメだ・・値引きするしかない」と覚悟を決めたその時に、なんと、お客様が「わかりました。買います」と言ってくださったのです。すっかり暗くなって何も見えない店内で、懐中電灯が照らす注文書に名前をお書き下さったそのお客様はさぞかし不安だったと思います。しかし、あの時値引きをしていれば、今の私はなかったでしょう。在庫車両が3台しか無い自動車販売店で「ライフ」を買ってくれたお客様には、今でも感謝しているのです。
在庫台数が3台しかない「スタンダードモータース」は、今は「ひまわりコーポレーション」と名を変え、創業以来多くのクルマを大阪のお客様にご購入頂くようになりました。私たちが行なってきた自動車業界の常識を覆す数々の試みは業界で有名になり、自動車販売店のモデルケースとして書籍化され、自動車業界のスタンダードとして、全国の自動車販売店から視察や目標にされるようなお店に成長したのです。いまでは1,500坪を超える敷地に200台を超える自動車を販売するお店となり、毎週末多くのお客様がご来店いただけます。
いままでも、これからも、ひまわりコーポレーションは、安易な値引きをするような価格設定を行わず最初から安く販売する。誰もが最適な価格でご購入いただけるような価格設定を行ないます。 スタッフも「正直で、真面目に、分かりやすく」を徹底して、あなたのカーライフのアドバイザーとして、多くの疑問や不安を解決いたします。このようなひまわりコーポレーションの販売姿勢は、きっとあなたにも喜んで頂けるはずです。
私は、何十年も前に独立して初めて販売した日のことを一生忘れません。あの日の感謝の気持ちを忘れないために、私は今でもライフに乗っています。ライフに乗るたび、当時の気持ちがまざまざと蘇るのです。どんな高級車よりも私を豊かにしてくれるクルマ、それがライフです。あの日から四十有余年、私は一度も値引きを行っておりません。値引きする必要が無い安値を最初から付けているからです。
独立後に初めて販売したライフは、まさに私の人生そのものなのです。
会長 豊田昭博